【人生はプース・カフェ Barに集えば…】イスラエルの夏2001 ⑥『始動〜ハイファ〜』

お酒

プース・カフェとは、様々なリキュールの比重の違いを活かし、幾重に鮮やかな色が重なるカクテル。人生もまた色とりどりの思いでの重なり…


【6.1.いざハイファへ】

 

 日本を立ち、あの長旅の末に、

 埃まみれで、お腹を空かせて、


 ここ「キブツ・カファマサリク」のゲートをくぐってから3週間ほどが過ぎていた。キブツの生活に馴染み始め、デービットとの洗い場仕事の後の睡魔も、だいぶ、ましになってきた。


 そして、抑えてきた、もう抑えられない衝動を強く再確認した。それはここに来る事を決めた時と同じ欲求だ。


 「外の世界に出たい!」


 この3週間に3度だけ、ここのゲートをくぐった。2度はボランティア2、3人と、同世代のキブツニークのロンが車を借りてくれて、ショッピングモール、そして北部の旧市街アッコーに行った時だ。


 ショッピングモールは予想より遥かに近代的な施設で、それに対してアンバランスな軍人の数に驚きを隠せなかった。どこに行っても、ライフルを持った軍人に鞄の中を調べられた。ここでは「置き去りの荷物」は犯罪で、それはイコール「爆弾テロ」として処理される。


 アッコーは、「旧市街」と言う初めて聞く種類の言葉を持つ場所で、海に面した港町だ。カファマサリクから20分程車に乗ると、見たこともない古い街が現れる。ここはアラビックの街で、ユダヤ系のロンはあまり長居をしたがらず、次回にボランティアだけでゆっくり周ろうという事になっていた。


 そして3度目は、、、

 仕事の休みの日曜日に、1人外に行ってみようとして、ゲートの前で立ち止まり、何台かのタクシーを見過ごして戻ってきた苦い経験だ。


 ちなみに、ゲートを出てすぐ右手にはフィッシュショップがあるが、この辺りはあまり魚介類を食べない為、海の幸の食文化があまりなく、港育ちの私としては、覗くだけで買う事はない。


 キブツに来て1か月経つ前に、泊まりで1人で、外に出る。クレアは、そんな私を心配してくれたが、結局止める事はしなかったし、できなかった。




【6.2. ハイファの街】

 

 相乗りのタクシーは、比較的頻繁にくる。イスラエルの公共の移動手段の基本はこのタクシーだ。古いバンに詰め込まれて、揺られる事30分。これで確か5シェケルぐらいだったと記憶している。1シェケルが32円位だったから、ハイファまでは160円くらい。この相乗りタクシーは、ほぼ小型バスとして機能しているので、手軽で便利だ。

 タクシーを示す行灯には行き先が書かれており、乗る時に大体の降りる場所を伝えてお金を払う。もし、5シェケル以上つけられそうになったら、きっぱり「地元のやつに聞いた値段だ。」と言うようにロンに教わった。またアンディからは、キブツでもらった過去のボランティアが置いて行った服を着るようにと言われた。日本人は必ず何処かにブランドロゴが入った服や靴を身に付けてしまうからと。


 ここは、アジア人が極端に少ない。ここに来て、日本人はもとより、1人のアジア人とも、まだすれ違っていなかった。そして、当時は日本人のステレオタイプなイメージから、もし、アジア人かと声をかけられても、チャイニーズといった方が何かと手間にならないとの事だった。


 心に少し余裕ができて来ていた。テロへの異常な恐怖も麻痺したのだろう。はじめてクレアと訪れた時は、早く通過する為だけのハイファだった。今はそのイメージとはだいぶ違い、街は賑わい活気があった。


 取り敢えずは空腹を満たすための「シュワルマ」だ。ピタブレッドにひよこ豆のペースト・フームスと生野菜、フライドポテト、ファラッフェルと言うひよこ豆の丸型コロッケなどを好みで挟んでもらう。キブツの食堂にもあった不思議なペーストがフームスで、これを入れると何とも言えない美味さがある。レモンの酸味のせいか、初めて食べた時はクリームチーズの一種かと思った。アラブ系の人が小さな路面店を構えてやっていて、この国の食欲を満たす大切なファストフードだ。


 日が暮れる前に、泊まるところを探さないと行けなかった。「地球の歩き方」で「ホテル」を示すヘブライ語の文字の形を覚えて、街の地図や標識と当てはめる。


 観光がてら歩いていると、小ぢんまりとした、可愛らしいホテルに巡り合う。



【6.3. ハイファから再び】

 

 ハイファに1人で来れた事は大きな1歩だった。せっかくイスラエルに来たのだから、エルサレムや死海にも行ってみたい。その為の予行練習になる。


 ホテルには小さなロビーがあり、数人座れる程のソファーが置かれていた。部屋に荷物を置く。と言っても1泊旅行に荷物もないけれど。また、ふらっと外に出てみた。外は少し暗くなりはじめていた。イスラエルは、雨季と乾季がはっきり分かれていて冬以外は、まず雨が降る事もなく、気温もずっと夏の様に高く、いつも真っ青な空が広がっている。


 夕方の通りには、たくさんの飲食店が建ち並び、ほぼ全ての店がテラス席を用意しているのは、この国のそんな気候のせいだろう。とは言え、私はそんなお洒落なお店を横目にみながら、またシュワルマ屋さんを探す。野菜も多くて、バランスも良く、とても安い。店によって値段は違うが、当時日本円にして、200円から500円くらい。お洒落なお店で食べると、その10倍位かかってしまうので入れない。



 ホテルに戻ると、ロビーには50代くらいの男性と、30代くらいのカップルがソファーに腰掛けていた。軽く会釈をし、私も腰掛ける。皆よそよそしくもなく、フレンドリーでもない。

 カップルは2人で話をしていたので、私は隣の男性に話しかける。彼の名前は「ザカニヤ」その名前を今も覚えているのは、「ザ・蟹屋」と認識したからだ。


 完全なる余談だが、以前に函館に行った時、まさに「ザ・蟹屋」と呼ぶにふさわしいお店が何軒も立ち並んで蟹を売っていた。


 エルサレムから仕事で来たと言うザカニヤさんは、何かに付けて「ハレルヤ」と言った。1人で街に出る、食事をする、ロビーで世間話をする。私は1つずつ課題をクリアしていった。


 翌朝も見渡す限りの晴天。ハイファには海があり、綺麗なヨーロッパ風ガーデンのある教会、丘に登るロープウェイがある。観光気分でロープウェイに乗る。高所恐怖症だが、ロープウェイは大好きだった。


 バスターミナルに戻った頃にはお昼の時間をすっかり過ぎてしまっていた。バス乗り場を探しながらまた、シュワルマを食べる。やはり旨い。

 バスの奥にライフルを持った軍人が数人座っている光景にもすっかり慣れてしまった。よく見ると弾は装填されておらず、暴発の恐れは無い。彼らは街のガーディアンでもあるのだ。


 あの日と同じように、バスはキブツ・カファマサリクの少し手前で止まる。もう乾いた土にも風の匂いも砂利道を歩く事にも慣れていた。フィッシュショップを左手にみながら、キブツのゲートをくぐる。そこにはクレアの姿があった。私が1人で出た事を心配し、もう帰るのではと1時間もここで待ってくれていたのだ。私を見つけるなり、駆け寄った彼女は私にハグをして、「あなた、日本人だし、まだ色々慣れてないから、誰かにいじめられてるんじゃ無いかとどれだけ心配したか!」と言った。

 何だか、「はじめてのお使い」から帰ってきた気分で照れくさかった。


 クレアの瞳には薄らと涙が浮かんでいた。

 

 つづく…

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