【人生はプース・カフェ Barに集えば…】イスラエルの夏2001 ⑳『4ヶ月経た、イスラエルノミエカタ』
プース・カフェとは、様々なリキュールの比重の違いを活かし、幾重に鮮やかな色が重なるカクテル。人生もまた色とりどりの思いでの重なり…
【20.1. 身支度を始め】
約4ヶ月前、私はは片道切符でここイスラエルに来た。何度か日本に逃げ戻りたい衝動にかられた事があったけど、その術がなかった。
イスラエルから日本へのオープン航空券は、イスラエルの何処かへ持っていって、実際に飛行機に乗る日時を決めないと役に立たなかった。そういう意味での片道切符だったのだが、今は違う。
ボランティアリーダーのサラに聞いたバス停の名前はヘブライ語でうまく発音できないので、メモにとって相乗りタクシーに乗り込んだ。
私の発音でなんとか通じたようだ。バスはハイファに向かう途中で止まってくれた。旅行会社のオフィスは、バス停のすぐ近くに有ると言う。いろいろな感覚の違いなのか、日本にある旅行会社よりも見つけづらい。沢山オフィスやお店が並ぶが一目でそれと分からない。
日本では履歴書に貼る顔写真は、きっと糊か両面テープで貼るはずだ。私がここに来た時に渡した顔写真をサラはなんの気無しに書類にホチキスで止めた事を思い出す。おでこに2本の針が斜めに突き刺さっていた。ビックリしたけど、悪気は無いし、これは感覚の違いなのだ。
そんな事を考えているうちに、よく見ると英語でも"TRAVEL"と書かれたオフィスを見つけた。
オープンチケットは、来た時と同じでトルコのイスタンブールとシンガポールを経由して成田に到着する。折角なのでストレートに帰らず寄り道して、それぞれの都市に2泊ほど出来る様にチケットを調整してもらった。
帰り道に中華料理屋を見つけたので何気なく立ち寄った。味は想像し、期待した日本的なものでは無かったが、箸を上手く使って麺をすする私を見て、中国人らしき店員さんは、「アジア人ね。」とニコッと微笑んでくれた。
【20.2. 多国籍のダイニングルーム】
ティベリア湖でお魚料理を食べた時以外は、ツナ缶を除いて魚介類を食べる事はなかった。1度大食堂のマリネの様な魚に挑戦しだが、ただ塩辛い。
塩漬けで以後食べる事を断念した。
どうしてもマグロ丼が食べたくなって、ライスにアボカドを乗せて醤油をかけた。長ネギが無いから玉ネギスライスを乗せた。ライスも長粒種を塩味で炊かれたもので、日本で食べるそれとは大分違うが、醤油だけは日本から輸入された物だったので、それはほぼマグロ丼だった。
アボカドは、茹で玉子と一緒に軽く潰してカレー粉、塩、胡椒をしてマヨネーズで和えて、トマトと共にサンドイッチにするのが美味しかった。
シンクのコーヒーカップを洗っていると、ふとここに来た当日の夜を思い出す。あの時と同じカップなのに、あの時のカップは、もう少し大きかった様に感じる。
あの時とルールは何も変わっていないのに、今は自分の家のキッチンの様に使っている。日本から後輩に送ってもらった、お蕎麦や味噌汁もここで作って、たまたまそこにいる誰かとシェアをした。何故か日本茶を飲ませたら魚の匂いがすると言われた。そういうイメージがあるのかも知れない。
チェコ、オランダ、ドイツ、デンマーク、アメリカ、日本など、多国籍のダイニングルームでは、皆それぞれに食事を作り、お茶やコーヒーを飲む。まるでクラスメートみたいに我々は当たり前の生活をしている。
美味しいけど、やたら肉のトマト煮込みが多い大食堂の食事に少し飽き感じ、改めて日本の食の豊富さを実感して、ひどく恋しくなる。
日本に帰ったら何を初めに食べようか。
やっぱりお寿司か、納豆とかも恋しい。カツ丼も食べたい。
きっとみんなも故郷の味が恋しくなってるのじゃないだろうか。
食欲は満たされているのに、食を想う心が騒ついていた。
【20.3. 願い】
イスラム系のハマダは「ムジカ、ムジカ」と言っていた。初めは分からなかったが、「ミュージック」の彼らの発言だと気づき、音楽を聞こうって事だと分かった。
大食堂や農園では、ボランティア以外にも何人かのイスラム系の人達もいたし、キブツ在住のユダヤ人もいたし、デービットの様なインド人、他にもフランス人等、多様な人達が働いていた。
キブツニ住んでいる人をキブツニーク、イスラエルに住んでいる人をイスラリーとか、イスラエル・ピープルと呼んで、出身地や宗教で語られる事はあまり無かった。
子供の時からそんな光景を見ながら育てば、ここの人達は、今の様に宗教や人種や文化で争う事なんてないんじゃ無いかと思えたし、それを今も切に願っている。
現実的には中々そうは行かない事を知った。他にも領土や経済、政治的理由などで人々は分断され争っている。
争いを恐れて悲しみながら、私達はその恐怖から逃れるために、慣れるように順応してしまうのかも知れない。
とある日、キブツにいつもより多くの軍人が入って来て1人を連れて行った。シリアからこのキブツにスパイが入りこんでいたと言うのだ。その人はキブツに住む、人の良い家族の旦那さんで、ボランティアの何人かは一緒にテニスをしたりして仲良くしていた。彼が本当にスパイだからこそ、善良な市民として振る舞っていたのか、彼の出身がシリアだから連れて行かれたのか、そんな事は誰にも分からなかった。
何故か週末に、誰かがスパイパーティーをやろうと言って、皆で思い思いのスパイの仮装をして集まった。クレージーなアイデアに聞こえるだろう。でもそうして茶化す事で、心の平穏を得ようとしたのかも知れない。
この国は私の心を育ててくれた。
勇気がなくて、ただ強がって、足踏みしていた少年はそこにはもう居なかった。
ただ自分があるがままに、自分に正直に心を開き、人に素直に心を開き、差別なく、カテゴライズせず、生きていきたい。
つづく…
Bar Blue Reef | バー・ブルーリーフ
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