【人生はプース・カフェ Barに集えば…】イスラエルの夏2001 ⑱『ヨルダン編② 〜世界遺産ペトラの遺跡から〜後編』
プース・カフェとは、様々なリキュールの比重の違いを活かし、幾重に鮮やかな色が重なるカクテル。人生もまた色とりどりの思いでの重なり…
【18.1.ザクザクと無音の世界】
ひたすら砂利道を進む。
ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、、、
途中長い登り坂を行くと、先程の岩の城と同等くらいの大きさの城がいくつか現れる。
坂道は細い作られた通路で、所々にお土産屋さんの様な店があり、中には老婆が腰掛けているが、話しかける勇気が出ない。
この路地からは、何とも言えない私の苦手な、生の草を焼く様な匂いが漂ってくる。
小学生の時、体験用の小さな田んぼがあった。餅米を作っていて、毎年4年生が田植えから刈り取り、最後は餅つき大会をするのが楽しみだった。
しかし、刈り取った稲穂を干す為に、秋にはグラウンドの横のフェンスにずらりとそれが並ぶ。私はその匂いが苦手だった。大地の恵みだとは分かっていた。
路地からの煙はそんな香りなのだ。
ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、、、
ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、、、
1つの頂にたどり着くと、岩の大地が広がり、目の前と、少し離れた所にまた、巨大な岩の城が聳え(そびえ)立つ。
かつて経験のない岩の巨塔は、顔を真上に向けても、まだ青空と共にそびえ立つ。
そして、どこかで歩みを止めないと、帰れなくなると知る。ここまで3時間は歩いただろうか。
我々はそれ以上進むのをやめ、そこに広がる岩の大地に腰を下ろす。
以前アンディが話してくれた、スピリチュアルな経験を思い出した。真夜中の広場に何十人も集まって輪になって、そこに座り、左右の人と手を繋ぎ、目を閉じて瞑想をすると言うものだった。
先に腰を下ろしたアンディは、既に目を閉じて瞑想している様だった。
私も真似をして目を閉じる。
深呼吸をする、、、深く、深く、、
ここは「無音の世界」だ。
何も音がしない世界。自分の少し早くなった鼓動が、はっきりと感じられる。
何時間か、そうしていたのだろうか、、
たった1、2分だったのだろうか、、
時間の概念も薄れてゆく、、、
とんでも無く遠い所に飛ぶ、小鳥のさえずりがはっきりと透き通ってキコエタ。
閉じていた目を開くと、谷側に少し生えた木々が優しく揺れている。葉と葉が擦れ合う音もきこえる。
また、小鳥のさえずりが、きこえる。
200メートル程離れた先で、ガイドさんが遺跡を説明している声がはっきりときこえてくる。
人工物が一切無い世界、自然の音しかしない世界で、
ピタリと風が止まる時、、、
そこは完全な「無音の世界」になる事を知る。
無音のせいで、バランス感覚を失う様に、
目眩の錯覚をする。
耳がザクザクと、砂利を踏み締めていた音を思い出そうとする。
【18.2.砂のボトル】
ここにテントを持ってきて何日も暮らして見たいなと、アンディが言う。
また2人で来る時が有れば、その時は準備をして来よう。リッチな観光客として。
あたりをまた見渡すと、少し離れた所に建物が有る。簡単な小屋の様なものが何軒かならび、お土産を売っている。
その地域の布だったり、イスラエルとは少しデザインの違うウォーターパイプだったり、、
そこで一際目を引いたのが、この地域を思わせる、ラクダや砂漠の描かれたボトルだった。
手の平位のものから、ワインボトルよりも大きな物まであり、目を楽しませる。
吸い込まれるように店に入り、店主に話を聞くと、ここペトラは他種多様な色彩の石がある。その石を削って砂にして、瓶の中に入れてゆく。接着剤など一切使わず、様々な色の砂を順番に入れて描いてゆくのだと言う。
これは、この地の砂、いし、、
は!あの少年の!石だ!
ポケットから少年の石を取り出すと、やはりそれは黄色やブルーの層になっている。
ペトラの入口周辺ではもう、カラフルな石は取り尽くされているて、それを知らない旅行者は、少年の持つ特別な石を、小銭と引き換えに手に入れる。
彼ももう少し大きくなったら、砂のボトルの職人になるのだろうか、、、
使えるお金はもう、1ディナールしか無かった。たしか300〜500円位だっただろうか。
それで買えるボトルはあるか聞くと、店主は1番小さな10センチほどのボトルを指さした。
それで充分だった。何十本も並ぶボトルから1つを選び、ディナールと交換した。
【18.3. さあキブツに帰ろう!】
ペトラのゲートを出る頃には、ゆっくりと太陽が傾き始めていた。アンディと2人で、もうザクザクと言わないアスファルトの坂道を登った。
ゲート前には、あの石を売る少年の姿があった。あげた右手でサヨナラを伝えると、少年も軽く右手を上げて返事をしてくれた。
長い1日だった。
多くの帰る旅行者の中に、アジア人の姿を見つけて直感した。あっ、日本人だ。
追いかけて声をかける。中東をバックパックで旅している2人の日本人男性だ。
「日本人ですね!」、、、、
、、、あれ、、喋れない。
久しく日本語を使っていなかった私は、続く言葉が出てこない。。彼らの日本のは理解できるのに、言葉が英語で出てしまう。
彼らに伝えて、しばらく私は英語で、彼らには日本語で話をしてもらった。不思議な体験だった。
10分後には、私も流暢な日本語を話していた。
彼らのドミトリーに立ち寄り、缶ビールをご馳走になった。久しぶりに日本人に会えた私は嬉しくて興奮気味だったが、アンディはそうでもない様だった。ムフやミランがいる時に、3人はチェコ語で話して私が孤独を感じた時と似ていた。
程なくして我々はホテルに向かった。
途中で、ドライバーの彼と出会い、ペトラのゲートまで迎えに来てくれていたと告げられた。見当たらず一旦引き返して、また様子を見に来てくれたのだと言う。なんて、親切な人なんだろう。彼のお陰で、どれだけこの旅が円滑に進んだ事だろう。
出会いに感謝。彼に感謝。
ホテルにもう1泊して、彼に国境まで送ってくれると言った。帰りはアンマンの街を抜けて、イスラエル中部のエルサレムの近くに出る国境を示してくれた。
アンマンの街は恐ろしく渋滞していて、その日のうちにキブツに着く予定が難しくなっていた。
まあ良いさ。ちょっとの事で、うろたえない強さが僕等にはある。ポケットにはもうお互い小銭しか残っていないけど、なんとか帰れるだろう。
午前中に出発したのに、国境に着いたのはもう夕方だった。ドライバーのの彼に別れを告げ、イスラエルに入国する。入国の際のイスラエル側の検査官は、やはり恐ろしく機械的で冷たかった。
なんとか、エルサレムについた頃にはもうすっかり夜になっていた。
異国とはいえ、イスラエルに帰って来た安堵感は強い。夜でも、あまり警戒心を持たずにいられた。
幻想的な霧に包まれた大きな公園があった。サッカー場が何個も入りそうな大きさだ。日本にこんな大きな公園はないよと、アンディに言うと、いや、プラハにもこの位の公園はあるし、日本にだってあるはずだよ、と言われた。
後に東京に住むと、そんな公園が、あちらこちらにある事を知った。
なぜかエルサレムの公園に、日本から寄与されたと言う釣り鐘があった。アンディに言われ、その鐘の下で記念写真をとり、体を休める為の宿を探しに街へ向かった。
「さぁ、明日はキブツに帰ろう!」
アンディは言った。
僕等が安心して生活できるキブツに。
2泊3日の予定が、1日長くなってしまい仕事は無断欠勤になってしまった。まずはボスに報告とお詫びをしに行こうと思った。
つづく…
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