【人生はプース・カフェ Barに集えば…】イスラエルの夏2001 ①旅の始まり

お酒

プース・カフェとは、様々なリキュールの比重の違いを活かし、幾重に鮮やかな色が重なるカクテル。人生もまた色とりどりの思いでの重なり…

 2012年7月に目黒区学芸大学にオープンしたCafe&Bar BlueReefでは、毎夜様々な話題が飛び交います。

 皆様はじめまして、私はオーナーバーテンダーの角井正朋です。


 さて、この度、バーで語られる様々なエピソードの中でも一番の大作、学生時代に私がボランティアで行ったイスラエルでのエピソードを初めて書き下ろします。

 日本から遠く離れた中東の地で、当時若かったからこその、無知さ、経験の無さ、探究心、好奇心、無謀さ、そして、若いエネルギーを、躍動感を待ってお伝えできたらと思います。

 まだ、インターネットも学生はメール位しか使えなかった時代に、情報は全て隣人に聞く事から始まる。当時ほぼ日本人に会う事のなかった、かの地での出来事を赤裸々に綴ります。

【1.1.旅立ちの決意】

 2001年1月。私はとても苛立っていた。


 2年間通っていた大学の課外授業の英会話。ほどほどに話せるようになって来たと思っていたのは錯覚だった。

 ロサンゼルス留学から帰って来たと言う先輩は向こうで影響を受けたのか、首から派手な金のチェーンをぶら下げている。そして私の目の前で初対面の筈のアメリカ人の先生と、昔からの友人かの様に親しげに話している。全く聞き取れない言語を使って。


 留学を急に探し始めても、4月には4年生になる私には十分な滞在期間はないし、そもそもお金がなかったから留学は考えていなかった。そんな時、イスラエルのキブツというコミュニティを何かの本で読んだ事を思い出した。

 キブツは社会主義的な共同体で一つの団体に大体400人くらいの人々が暮らしている。主な収入源は農協や工業などで、イスラエルの各地に200程点在してるという。

 そこでは、海外からの若者をボランティアとして受け入れており、共通言語は英語、ボランティアとしてそれぞれの仕事を手伝う代わりに衣食住が無料だという事だった。


 ここしかない!即決し、2人で暮らしていた父に直訴すると、意外とあっさり「そうか、行ってきな。気をつけてな。まさくんなら大丈夫だろう。」快諾は本当にありがたかった。ここで揉めたくはない、旅にはリスクは付き物で絶対安全なんてどこにもない。


【1.2. 旅立ちモラトリアム】


 新聞の国際面を見ると月に一度程度のテロがイスラエルでは起きていた。1995年の地下鉄サリン事件が記憶にある唯一のテロ。テレビで何度も映像が流れたが、当時高校生だった私にとっては少し遠いところで起きた怖い出来事という印象だったが、実感としての怖さは感じられていなかった。

 イスラエルのサイズは四国と同じくらい、そこで月に1度のテロと言うと、遭遇する確率は高まる事わかったが、例え何10倍も確率が高まったとしても、実際には1万人とか10万人に1人くらいの確率なのかなと、私はジョーカーを引かない。若者の楽観的な感覚である。

 使った事のないパスポートを持っていた。ノープランだったけど海外に行きたかったからだ。

 つまり、初めての海外渡航が1人でのイスラエル行きと言うことになる。飛行機に乗ったことも無い。

 何も怖くなかった。いや、結構怖かったのかも知れないけど、それよりも、この世界から飛び出すと決めた時から心はもうここには無かった。

 渡航期間は8月から12月までの約4ヶ月。大学4年の前期のテストを受けてから立ち、後期のテストまでに帰ってくる。

 帰ってきたら履修科目の全員の先生に話にゆき、事情を話して授業に出ていないけどテストを受けさせてくれと頼む計画だ。既に単位は大体取れていたので勝算はあった。


【1.3. 空港】


 父は最寄りの駅まで見送ってくれた。10年程前に母が亡くなってからあまり遠出したがらなくなったような気がしていた。空港までは彼女が送ると伝えていたので、それで十分だったのだけれど。

 高校の時に現実逃避の勢いで、学校見学と称して北斗星という夜行列車に乗って北海道に行った時を除くと、自分のお金で払う電車代としては最高額の切符を買って、向きの変わる椅子に座って、椅子をぐるぐるとさせながら、彼女と成田空港へ向かった。

 初めての空港に、彼女の存在は心強かった。着くなり何をしていいか分からなかった。いつ何処でチケットを渡すのか、彼女がエスコートしてくれた。チケットは出来るだけ安くする為、かなり乗り換えをするコースだ。まずシンガポールへ、次の飛行機を8時間待ち、イスタンブールへ、3時間ほど待ってイスラエルの、テルアビブ空港に到着する予定だ。ちなみに、いわゆるオープンチケットなので、帰りの日程は決まっておらず、現地で英語が話せるようになり、自分でフィックスしないと日本に帰ってこれない。もし無くしても帰って来れない。実際にそんな事はないのだろうが、当時は何も知らなかったので、気分は片道切符だ。

 チケットカウンターで事件が起きた。イスラエルに長期滞在するビザが無いと現地に着いても帰されると言われた。キブツ専門の旅行会社が言うにはボランティアビザは現地で取ってくれと言われていた。スタッフに電話で確認してもやはり現地で取ってくれとの事だった。その事をカウンタースタッフに伝えても、行く行かないはあなたの判断に委ねます。向こうに行けても帰される事を念頭に入れてくださいと。

 、、、、悩んだ。イスラエル行きを決めてから、今までの事を思い出した。お金も払った。ここで行かなかったら、次の機会は無い。お金が貯まった頃には就職しているのだろう。

 彼女とも相談した。彼女だって行けとも、行くなとも言えない。

 「行ってくるよ。」と告げて僕は入国ゲートをくぐった。

つづく…

Bar Blue Reef | バー・ブルーリーフ

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