【高世仁のニュース・パンフォーカス】「なぜウクライナには『降伏する』という選択肢がないのか」

ニュース

「もし日本が戦場になったら、国のことはどうでもいいから、自分のことだけ考えて逃げていいんだよ」

 

 東京で開かれたウクライナの戦禍を伝える写真展で、ある女性が中高生の子ども2人にかけた言葉です。

 母子3人が見ていたのは、ロシアとの戦闘で重傷を負い、病院のベッドに横たわるウクライナ兵士の写真でした。

【香港出身のジャーナリスト、クレ・カオルさんが、5月上旬ウクライナ中部ドニプロで撮影した負傷した兵士。東京・新宿区でのアムネスティの写真展にて】

 

【上の写真につけたクレ・カオルさん手書きのキャプション】

 

 写真のキャプションには〈「あなたにとって平和とは何か」と聞くと、負傷した腕をあげて、ПЕРЕМОГА!!(勝利!)と答えた〉とあります。

 傷ついてなお戦おうとする兵士の姿。自分たちの近くが戦場になったら・・とわが身に引き寄せての思いが、冒頭のお母さんの言葉だったのでしょう。

 

 先日、ロシアに対する戦いを支援するウクライナの少女をニュースが伝えていました。

 ワレリヤ・エジョワさん(11歳)はボードゲーム「チェッカー」が得意で、去年の世界チャンピオンになった天才少女です。そこで特技を生かし、スーパーマーケットの前でチェッカーの対戦をして寄付をつのることにしました。挑戦する大人たちは簡単に負かされますが、微笑みながら寄付をしていきます。

 

【対局するワレリヤさん。対局者は寄付をする(NHKニュースより)】

 

 これまで日本円で35万円を集め、軍の関係者に届けることができました。

 「大人も子どももみんな今はウクライナを支えるべきです。だから私は私なりのやり方で支えようと決めました」とワレリヤさんは言います。

 

【(NHKニュース)より】

 

 ワレリヤさんの祖父母はキーウ近郊のブチャという町に住んでいました。祖父母がウクライナ軍に助けられたことを知り、軍に感謝する気持ちがワレリヤさんの支援活動につながったといいます。

 ブチャは住民虐殺で世界に知られるようになった町です。

 ロシア軍は侵攻直後の3月初めにブチャを占領しましたが、ウクライナ側の反撃で約1か月後に撤退しました。ロシア軍の撤退後の4月2日、何体もの遺体が通りに放置されている様子が動画で発信され、世界に衝撃を与えました。

 5万人以上のブチャ市民のうち、3500人ほどが占領下も避難できずに残りました。確認された犠牲者は420人にのぼります。強姦され殺害された女性の遺体も見つかっています。

 「93%の犠牲者は頭部か胸部を撃たれていた。最初から殺すつもりでロシア兵は撃っていた。意図的な殺人だったのです」とブチャ市長のフェドルク氏は朝日新聞に語っています。また、「両手を背後で縛られた遺体もあり、拷問や処刑だった可能性がある」と記事は伝えています。(9月5日付朝日新聞)

 

【朝日新聞9月5日朝刊第2面】

 

 多くの犠牲者を出しながら、ウクライナでは、兵士だけでなく、子どもから高齢者までが自分のできることでロシアとの戦いに参加しています。戦場以外でも、多くの人たちが負傷者を介護したり、避難民に食糧を配ったりするなどボランティアに参加し、勝利するまで戦い続ける覚悟をしているといいます。

 

 ウクライナの人々のそこまで強い覚悟は、いったいどこからくるのでしょうか。

 それを日本人に分かってほしいと願うある在日ウクライナ人の話を聴く機会がありました。講演の題は「なぜウクライナに『降伏する』という選択肢はないのか?」。

 

 片岡ソフィヤさん(以下、ソフィヤさん)は関西在住のウクライナ人です。

 

【片岡ソフィヤさん講演(9月2日、平塚市役所にて) 筆者撮影】

 

 ソフィヤさんは、ロシア侵攻で始まった今回の戦争について、日本で次のような意見を耳にしたと言います。

 

〇戦争をする両者が悪い

〇戦って死ぬより生きている方が良い

〇一般市民の命を救うために、ウクライナは戦いをやめるべき

〇大統領はウクライナ国民を闘わせるべきではない

 

 こうした声をみなさんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。これらはウクライナについての「誤解」から来るものだとソフィヤさんは言います。

 

 まずはウクライナとロシアが『兄弟国家』だという誤解。

 ウクライナはロシアに侵略され抑圧され続けた歴史をもち、特にこの100年間はそのために非常に多くの犠牲者を出しています。

 スターリン治世下の1932-33年には、急激な農業集団化と食糧の強制徴発によりウクライナに大規模な飢餓が引き起こされ、死者は数百万人に及んだとされていますが、いまだ正確な犠牲者数は不明です。ウクライナ語で「ホロドモール」(飢餓による殺害)と呼ばれる、ナチスドイツの「ホロコースト」にならぶ世界史上まれにみる大惨事です。 

 

【飢餓により街頭に倒れ込んでいる農民と気を払うことなく通り過ぎるようになった人々。(1933年)日本ウクライナ友好協会HPより】

 

 ロシアのプーチン大統領はかねてより、「ロシアとウクライナは一つの民族」と主張しています。

 今年6月には、ロシアの安全保障会議副議長を務めるメドベージェフ前大統領が、自身のSNS に「ウクライナが2年後に世界地図上に存在していると誰が言ったのか」と書き込んだことが注目されました。

 

【ドミトリー・メドベージェフ前大統領、プーチン大統領と(2008年)wikipediaより】

 

 一つの国と民族を抹殺せよとの主張をロシアのトップリーダーが公言するとは驚きですが、ソフィヤさんに言わせれば、ロシアという国は昔からウクライナ独自のアイデンティティを認めようとしてこなかったといいます。

 

 ウクライナの文化がロシアに取り込まれた例としてソフィヤさんが挙げたいくつかを紹介すると―赤いスープのボルシチ、コサックダンス、民話の『おおきなかぶ』などなど。

 会場からは「えっ、これもウクライナのものなの」とざわめきが聞こえました。

 

【「おおきなかぶ」は紆余曲折を経てトルストイ原作になって世界に広まっている『おおきなかぶ』(内田莉莎子再話、佐藤忠良画、福音館書店)より】

 

 言語に対する抑圧も厳しく、ウクライナ人作家のゴーゴリ(ウクライナ語で彼の名前はホーホリと発音するそうです)はロシア語でしか書くことができなかったため、ロシア文学の中に位置づけられています。

 ソフィヤさんによれば、ウクライナ語とロシア語は、英語とオランダ語ほどの違いがあり、完全に別言語だといいます。

 

 「アイデンティティを奪われることがどんなに苦しいか、想像してみてください」とソフィアさん。民族のアイデンティティの問題は、おそらく日本人にとって理解が難しいことの一つでしょう。

 海外から帰国して空港に着いたとき、ほっとした気持ちになりませんか、日本食を食べながら日本に生まれて良かったと思うこともあるのでは、とソフィアさんは分かりやすい例を挙げながら話を続けます。

 海外で「ゴミを拾った立派な行為」を日本人が褒められているとニュースで知れば誇りに思い、ノーベル賞の受賞で日本の科学は進んでいるなとうれしくなったり・・・。

 こうしたものをすべて否定されたらどうでしょうか。

 ソフィアさんは「アイデンティティは生きる意味であり、幸せです。これを失うと心がからっぽになります」と訴えます。

 

 いまロシア軍の占領下に置かれているウクライナの東部や南部の地域では、道路標識までロシア語に変えられ、学校ではロシア語での授業しか行われず、ウクライナ語の書籍は廃棄されていると報じられています。

 ウクライナの古い教会などの歴史的建造物や貴重な文化財も数多く破壊されています。

 

【東部ドネツク州のウクライナ正教会「生神女就寝スビャトヒルスク大修道院」が6月ロシア軍の攻撃で木造聖堂が全焼した。ウクライナの三大「大修道院」の一つで、多くの民間人が避難していた(ゼレンスキー大統領のFacebook動画より)】

 

 ロシア軍占領地では「ジェノサイド」と表現してもよい事態が進行しているとソフィアさんは危機感をもって語ります。ジェノサイドとは、ナチスのユダヤ人の大量虐殺から生まれた言葉で、「特定のグループ全体、もしくはその一部を破壊する目的で行われる集団殺害、およびそれに準ずる行為」のことで国際法上の重大犯罪です。

 「ジェノサイド条約」の第2条にはジェノサイドの行為として「 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」が含まれています。

 ロシア軍の占領地域では、30万人ものウクライナの子どもたちがロシアに連れ去られたとみられています。親が死んだ孤児や家族とはぐれて迷子になった子のほか、親から無理やり引き離されていった子どももいます。その子どもたちをロシア人家庭の養子などにしてロシア人にしてしまおうというのです。

 一方、占領下の大人は厳しく尋問され、少しでも軍に関係していたり、ロシアに反発しているとみなされた者、ウクライナ語しか話さない者などは強制的にバスでロシアのキャンプに送られます。占領地域で行方不明になった者は数えきれず、その中には殺害されたケースが相当数あると推定されています。

 

 住民虐殺はブチャなどロシア軍が撤退した何カ所かでしか明らかになっていません。しかし、ウクライナには何百というブチャの惨劇があり、いまロシア軍に占領されているところではブチャのような非人道的な状況が続いているのです。

 

 「ウクライナ人にとって一番怖いのは爆弾でもミサイルでもありません。それはロシア軍に捕まることです」(ソフィアさん)

 占領下にあるということは、常時ロシア軍に捕まっていることを意味します。命が助かったとしても、ロシアの支配のもとでは、何をされるか分かりません。アイデンティティを否定され、不安におびえて生きることは「平和」とは言えないというのです。

 

 日本人は敗戦後、多くが「負けて良かった」と思った、まれな体験をした国民です。連合軍の統制された占領は、住民の集団虐殺などの破壊的な惨事を引き起こさず、食糧の配給により飢餓を防ぎました。

 その日本人が長引くウクライナでの戦争について、命が大事だから殺されるより降伏したほうがよい、一部の国土が占領されてもすぐに停戦することを選ぶべきだ、などと思ってしまうのは無理もないことかもしれません。

 しかし、ソフィヤさんの話を聴いて、日本人の特殊な感覚をウクライナの人々にあてはめることは厳に慎まなければならないと思いました。

 

 講演のあと、私はソフィヤさんに、冒頭に記した写真展の母子の例をあげ、日本人は「国のために戦う」ことに拒否感をもつが、これをどう思うかと質問しました。

 

 ソフィアさんはこう答えました―

 「ウクライナ人は『国』のために戦っているのでも、誰かに強制されて戦っているのでもありません。自分たちの幸せと子どもたちの未来のためにロシアを追い出さなくてはならないのです。もし降伏したら、ウクライナは無くなります。いまゼレンスキー大統領が、国土の2割を占領された状態で「停戦する」と言ったら、多くの国民は納得しないでしょう。」

 

 ロシアによる侵略開始からもう半年がすぎました。戦時下の人々の状況は、冬を迎えればいっそうきびしくなるでしょう。一日でも早くロシアに軍を退かせるため、抵抗を続けるウクライナへの支援を続けたいと思います。

SHARE