【高世仁のニュース・パンフォーカス】「なぜ拉致問題は進展しないのか?」

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アメリカのバイデン大統領が22日、就任後初めて来日し、翌23日には北朝鮮による拉致被害者の家族11人が、バイデン米大統領と東京・元赤坂の迎賓館で面会しました。


【バイデン大統領と面会する拉致被害者の家族ら(内閣広報室)】


【面会に期待する横田めぐみさんの母親、早紀江さん(NHKニュース)】

 

 私はこのニュースを複雑な思いをもって観ました。国際社会へのアピールも大事ですが、肝心の日本政府が、拉致問題について誤った対応を続けていると思うからです。

 

 一例として、北朝鮮があらたに2人の拉致被害者が生存していると伝えてきたにもかかわらず、日本政府はその情報を国民に秘匿し、2人を放置し続けています。

 おそらく多くの方が「まさか!」と驚かれるでしょう。ごく一部のメディアでしか報じられず、政府への責任追及の動きも鈍いままですが、これは事実です。

 

 以下は2019年12月27日の共同通信ニュースからの引用です。

 

 拉致問題を巡り北朝鮮が2014年、日本が被害者に認定している田中実さん=失踪当時(28)=ら2人の「生存情報」を非公式に日本政府に伝えた際、政府高官が「(2人の情報だけでは内容が少なく)国民の理解を得るのは難しい」として非公表にすると決めていたことが26日分かった。安倍晋三首相も了承していた。複数の日本政府関係者が明らかにした。もう一人は「拉致の可能性が排除できない」とされている金田龍光さん=同(26)=。

 日本では身寄りがほとんどなく「平壌に妻子がいて帰国の意思はない」とも伝えられ、他の被害者についての新たな情報は寄せられなかった。被害者全員の帰国を求める日本政府にとって「到底納得できる話ではなく、国民の理解も得られない」(高官)と判断した。

 

 田中実さんは神戸市のラーメン店の店員でした。1978年6月、北朝鮮からの指示を受けた店主にだまされて海外に連れ出された後、北朝鮮に送られたと見られています。成田空港からウィーンに出国したまま行方不明になりました。当時28歳でした。

 幼少期に両親が離婚したため、田中実さんは神戸市内の児童養護施設で育ち、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)に入る身寄りはいません。また、政府による被害者認定が2005年と遅いこともあり、田中実さんの存在はあまり知られてきませんでした。


【政府認定の拉致被害者は帰国した5人をふくめ17人。田中さんの番号(4)のオレンジ色は北朝鮮が「入国せず」と主張していることを示す(外務省のHPより)】


【田中実さん】 

 

 金田龍光さんは韓国籍で、田中実さんと同じ施設で育ち、同じラーメン店で働いていました。田中実さんがウィーンに出国して半年ほど後、田中さんからオーストリアはいいところで、仕事もあるのでこちらに来ないかとの誘いの手紙をもらい、東京に向かったまま消息不明になっていました。


【金田龍光さんについての兵庫県警のHP】

 

 共同通信の記事によれば、2014年、田中実さんを「入国していない」としていた北朝鮮が主張を一転させ、田中さんが北朝鮮に生存していることを認めたというのです。

 北朝鮮が拉致被害者の存在を認めるのは、日朝首脳会談で横田めぐみさんら13人の拉致を認めて以来初めてのことです。また、金田龍光さんというあらたな拉致被害者も認めました。

 日本にとって大きな成果と言えるはずなのに、政府は8年もの長きにわたってこれを無視し続けています。

 いったいなぜなのでしょうか。

 

 北朝鮮が田中さんと金田さんの情報を日本政府に伝えたのは、2014年5月の「ストックホルム合意」に拉致被害者の再調査が盛り込まれていたためでした。

 これはスウェーデンのストックホルムで確認された日朝両国の合意で、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との立場を改め、「特別調査委員会」を設置して拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な調査を行うと約束しました。これに対し日本政府は独自の制裁の一部を解除しました。(後注)

 

 北朝鮮では拉致被害者は厳重に管理されているので、いまさら「調査」など必要ないのですが、これは北朝鮮に「調べたらさらに見つかりました」と新たな被害者を出させるための方便です。

 「合意」にもとづき、北朝鮮は「調査」の結果として、2人の生存を伝えてきたのでした。金田さんにも妻子があると伝えてきたといいます。ただ、日本政府は非公式にこの調査結果を聞いただけで、正式な調査報告書を受け取ることを拒否しているというのです。

 

 これは、北朝鮮からの回答が世論の反発を招き、政府にとって「得にならない」と判断しているからだと思われます。共同通信の記事では政府高官が「国民の理解も得られない」と語ったとされています。

 「国民」というより、政府が配慮し忖度しているのは、世論に大きな影響を与える「家族会」やその支援団体で家族会の方針を事実上決めている「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)なのでしょう。

 「家族会」と「救う会」は、全員が生存していることを前提にした「全ての拉致被害者の即時全員一括帰国」を掲げています。新たな拉致被害者の存在を北朝鮮が認めたとしても、横田めぐみさんや田口八重子さんなどが「死亡」とされたままでは、納得が得られるはずはありません。

 

 「家族会」と「救う会」が、ストックホルム合意における北朝鮮の「再調査」をどう考えていたかを見てみましょう。

 2015年4月、「家族会」と「救う会」が、安倍総理と関係閣僚に首相官邸で面会したさい、飯塚繁雄・家族会代表は、北朝鮮からの調査報告書は受け取らなくてよいと明言しました。

 「総理、率直に申し上げますが」、「焦って北の報告書を受け取る必要はありません。拉致被害者の確実な帰国の実現以外、望んでおりません。」(飯塚代表)

 「家族会」、「救う会」の方針をリードする西岡力・救う会会長は、拉致問題の解決にはそもそも外交交渉などいらないという立場です。

 「犯罪なんですよ、これは。外交交渉じゃないんです。何人かでいいということではない。全員取り戻すということについては絶対に譲歩の余地がない。100-0なんです。白黒なんです。」「特に私は外務省の方々に言いたい。『外交交渉じゃないですよ』と。彼らを動かすためには餌が必要だ、ということをおっしゃいます。しかしそれは、全員を取り戻すという前提でなければならない、ということです。」(14年6月の日朝合意に関する「緊急国民集会」でのスピーチ)

 白か黒か、100か0かというのでは、もう外交の出る幕はありません。

 

 私は1997年2月、横田めぐみさんらしい日本女性を北朝鮮で目撃したという元北朝鮮工作員の証言を日本で初めて紹介して以来、拉致問題の取材を続けてきました。被害者家族の苦悩も希望もそれなりに理解しているつもりです。「全拉致被害者の即時一括帰国」を願う気持ちも痛いほど分かります。でも残念ながら、それは実現不可能なのです。

 

 北朝鮮が開かれた民主的な体制に変われば、拉致問題もすべて公開され全面的な解決が可能になるでしょう。私もそうなることを強く願っています。しかし、その日はいつ来るかわかりません。拉致された本人も日本で待つ家族や友人も限られた時間を生きています。だとすれば、現在の金正恩体制の北朝鮮と向き合って外交交渉を積み上げ、一人でも多く安否を確認し、被害者を救済していくしかないのです。

 

 外交交渉では、こちらの要求が100% 通ることはありえません。犯罪に見返りを与えないのが正論ではあっても、少しでも前に進めていくには、つらいけれども妥協したり「泥棒に追い銭」を用意することさえ必要になるかもしれません。

 日本政府が、家族会や救う会の掲げる「全拉致被害者の即時一括帰国」以外の回答を拒否するならば、外交は一歩も進まず、時間だけがむなしく過ぎていくでしょう。

 

 横田早紀江さんはよく私に、日本の政治家への批判を語っていました。

 「「『拉致問題で何をしたらいいか、おっしゃってください。その通りに一生懸命やりますから』と言われるのですが、何をしたらいいかを考えるのが政治家じゃないですか。それに必ず『がんばってください』と激励されますが、私たちの方が政治家の先生にがんばってと言いたいです」 

 「家族会」や「救う会」への過剰な忖度が、政治家が拉致問題進展のための努力をサボる口実になってはいないでしょうか。私には、政治家の胸のブルーリボンバッジは、無作為の免罪符のように見えるのです。

 

 北朝鮮がストックホルム合意の約束通り、「調査」した結果として、田中さん、金田さんについての情報を出してきたのなら、日本側は報告書を正式に受け取り、すぐに二人と彼らの家族に面会して安否確認し、帰国の意思について問うなどした上で、まともな外交交渉をおこなうべきでした。その先には他の被害者の安否へと、一歩一歩進んでいく道が開けたかもしれない絶好のチャンスを日本政府は見逃したのです。

 田中実さん、金田龍光さんも横田めぐみさんたちと同じ拉致被害者です。被害者の間に差別があってはならず、2人を見捨てることは許されません。北朝鮮は「2人に帰国の意思はない」と言いますが、蓮池さんや地村さんたちもはじめは「日本に帰るつもりはない」と言わされていたことを思い出してください。今からでも、政府は本人やその家族との面会に動くべきです。

 

 威勢の良い北朝鮮糾弾や制裁の強化をぶち上げることは簡単です。しかし、拉致問題の進展は、地道な外交交渉からしか生まれないのです。

【安倍政権は強硬論を叫び地道な外交を捨てた。2019年5月19日の国民集会での安倍総理(朝日新聞)】

 

 拉致被害者5人とその家族の帰還へと導いた2002年の小泉純一郎総理と金正日国防委員長の日朝首脳会談から今年で20年になります。

 あれ以来、拉致問題がまったく進展しないまま、何人もの被害者家族が鬼籍に入りました。政府は真剣な反省のもと、すみやかに方針を転換すべきではないでしょうか。

 

 (注)ストックホルム合意は、2016年2月に北朝鮮が核実験と弾道ミサイル発射を行い、日本政府が再び独自制裁を決定すると、北朝鮮は調査中止と特別調査委員会の解体を発表し、事実上崩壊した。

 

 おことわり:「プーチンとはいったい何者なのか?」の続編は次回に回します。ご了承ください。

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