【高世仁のニュース・パンフォーカス】「プーチンとはいったい何者なのか?」

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ロシアによるウクライナ侵攻から2か月が経ちますが、戦火はいっこうに止みそうにありません。

 ウクライナ各地から人道にもとる残虐行為が報告されていますが、それらは個々の兵士の規律違反ではなく、上部からの指示のもとに組織的に遂行されたようです。

【朝日新聞4月24日朝刊】

 

 今回の侵攻は「プーチンの戦争」と個人名を付して呼ばれています。

 プーチン大統領は、日本における岸田首相などとは違って、自分の一存で国家の機構全体をただちに動かすことができる絶対権力者です。彼がどのような人物なのかを知ることは、今後のロシアの出方を知るうえでとても重要になるでしょう。

 そこで今回から連載で、私の取材をまじえながら、いま世界でもっとも注目されているプーチンの人物像に迫りたいと思います。

 今回はまず、プーチンがどのようにして権力の座についたのかを見ていきます。

 

 私は2008年にテレビ朝日「報道ステーション」で放送された「プーチン政権の闇」という特集を制作しました。その取材で浮かび上がってきたのは、権力を獲得するために多くの人々の命を犠牲にしたという驚くべき疑惑でした。

 

 08年2月19日、私は英国ロンドンで、世界を騒がせた殺人事件の現場を訪ねました。

 その住宅のドアには、立ち入りを禁止する命令書が貼ってあり、建物全体が封鎖されていました。06年11月に起きた事件から2年以上が経っていても、殺害に使われた猛毒の放射性物質で汚染された家にはまだ人が住めない状態だったのです。

 殺害されたのは、アレクサンドル・リトビネンコ氏というロシアからの亡命者です。彼が飲まされたのは、高価な放射性物質ポロニウムでした。英国警察は放射能の汚染の跡をたどり、ロシアのFSB元職員らを容疑者と断定、世界が騒然となりました。

【リトビネンコ氏の自宅。放射線量が高すぎて封鎖されていた。08年筆者撮影】

【亡くなる直前、病床のリトビネンコ氏(テレビ朝日「サンデーステーション」22年4月17日より)】

 

 リトビネンコ氏は遺言の中で、ある人物を名指ししています。

 「あなたは私を黙らせることができた。だがプーチンよ、全世界からの抗議は生涯、あなたの耳の中でこだまするだろう」

 名指しされたのは、時のロシア大統領、ウラジーミル・プーチンでした。

 

 リトビネンコ氏の妻、マリーナさんは彼がプーチンに暗殺されたと信じています。

 「夫は、プーチンとFSBにとって目障りな存在だったのです。彼らがロシア国民にしたことを断罪したからです」

【マリーナ・リトビネンコさん。「夫は23日間も苦しみながら死んでいきました」と語った。08年筆者撮影】

 

 英国の調査委員会は、殺害計画はプーチン大統領が「おそらく承認していた」との判断を示しています。

 プーチンとリトビネンコ氏との接点は、ソ連の諜報機関KGB、ロシア連邦となってからのFSB(ロシア連邦保安庁)です。

 プーチンは工作員としてのキャリアを積み、98年にFSB長官になります。リトビネンコ氏も工作員として働いたあと、FSBを、一部の人間の政治的、経済的利益の汚い道具に堕していると公然と批判し解雇されました。最終階級は中佐でした。

 

 99年、プーチンはエリツィン大統領により首相に抜擢されます。

 異例の人事に、多くの人が「クトー、プーチン?」(プーチンって、誰?)と首をかしげました。諜報機関のトップではあっても、政治家としては無名だったからです。

 

 99年8月16日にプーチンが首相に任命されるや、不可解な事態が起きます。立て続けに大きな爆破事件が起き、全ロシアを震え上がらせたのです。

 8月31日、モスクワの中心部のショッピング・センターで爆破事件があり、1人が死亡、40人近くが負傷。これがいわば前触れでした。

 9月4日、北カフカス・ダゲスタン共和国で6階建てのアパートが爆破され、子ども23人を含む64人が死亡、146人が負傷。

 9月8日、モスクワ市内のアパートが爆破され、105人が死亡、249人が負傷。

 9月13日、モスクワ市内の8階建てアパートが爆破され、124人が死亡、9人が負傷。

 9月16日、ロシア・ロストフ州でアパートが爆破され、18人が死亡、288人が負傷。

 4件の連続アパート爆破事件で、合わせて300人を超える人の命が奪われました。次は自分の番かと国民は恐れおののきました。

【アパート爆破の現場(テレビ朝日「報道ステーション」08年7月24日より)】

現場に建つ慰霊碑(ジン・ネット取材映像より)】

 

 犯行声明もなく犯人が分からないなか、首相となったばかりのプーチンは、一連の事件がチェチェン人によるテロと決めつけ、9月23日、独立を求めていたチェチェンに猛攻撃を開始します。

 第2次チェチェン戦争が勃発し、ロシア軍の残酷な討伐が続いた結果、チェチェン側の死者は人口の4分の1、25万人にも達したといわれます。

【「わが軍はテロリストの居場所を爆撃している。便所に隠れていたら、便所でぶちのめす。それだけだ。」と吐き捨てるように語るプーチン首相(テレビ朝日より)】

 

 プーチン首相は、「強いロシア」を目指す頼もしい指導者のイメージを打ち出したことで国民からの支持が急上昇。経済破綻やエリツィン大統領の無能ぶりへの失望の反動もあり、半年後の大統領選挙で圧勝し、権力の頂点に昇り詰めました。

 結果として、連続アパート爆破事件は、プーチンによる戦争の口実となり、無名だったプーチンを戦争が一気に権力の座に押し上げたのです。

 

 では連続爆破事件は、ほんとうにチェチェン人の犯行だったのか。私は、ロンドンに亡命していたチェチェンの元外務大臣、ザカーエフ氏に尋ねました。

 高世「チェチェン人がやったのですか?」

 ザカーエフ氏「いいえ、もちろん違います。一人のチェチェン人の容疑者もあがっていません。テロで、チェチェンに得るものなどなかったはずです」。

【ザカーエフ氏。08年筆者撮影】

96年交渉の場でのザカーエフ氏(右端)、左端はエリツィン大統領(『リトビネンコ暗殺』早川書房より)】

 

 そして、ザカーエフ氏は、リトビネンコ氏がプーチンの謀略を暴いたために暗殺されたと断言します。

 「リトビネンコは、地位ある官僚としては初めてチェチェン側に立ち、ロシア国民とロシア政府に公に背いたのです。ロシアは長年にわたって築いたシステムへの謀反であるととらえたのです。」

 暗殺されたリトビネンコ氏は、プーチン氏が大統領となった2000年に英国に亡命し、世界に向けて告発を始めていました。アパート連続爆破事件は、ロシア諜報機関FSBによる自作自演で、プーチン政権を打ち立てるために実行されたというのです。

 

 生前、リトビネンコ氏を取材したジャーナリストの常岡浩介さんに当時のビデオインタビューを見せてもらいました。

 「私は本を書き、ロシアの特殊機関がアパート爆破を組織したことの証拠を上げました。プーチンは、世論を欺くために、チェチェンと国際テロを結びつけてきたのです」。

 彼はプーチンとFSBの謀略を世界に発信するため、的に活動していました。

【生前のリトビネンコ氏。常岡浩介さん撮影映像】

 

 リトビネンコ氏が、爆破事件がFSBによる自作自演と断罪する最大の根拠にしていたのが「リャザン事件」です。

 4件のアパート爆破が連続して起きていた9月22日の夜、モスクワから南へ180㌔の町、リャザンの高層アパートの地下室で事件は始まりました。ここに怪しい袋を運び込む3人組が目撃され、住民が、ただちに警察に通報します。

【リャザン事件の舞台となったアパート(ジン・ネット取材映像より)】

 

 警察は黄色い粉が入った爆薬らしき袋と起爆装置を発見、急きょ処理を始めます。住民は恐怖の中、退避し、寒空の下で朝まで過ごしました。起爆装置が解除されて爆破は未遂に終わり、住民は胸をなでおろします。

【事件翌日の9月23日に警察が公開した起爆装置。朝の5時半に爆発するようセットされていたという(テレビ朝日より)】

 

 翌23日、プーチン首相は市民がテロを未然に防いだと賞賛する一方で、いきなりチェチェンの首都グロズヌイを爆撃します。まだ捜査中なのに、はやばやと「テロとの戦い」を開始したのです。

 

 ところが、リャザンの事件は翌日の24日になって不可解な展開を見せます。

 警察が全力で捜査し、容疑者を特定し逮捕することに成功。これで連続爆破事件が解明されたかと思いきや、なんと彼らはFSBの工作員であることが判明します。するとFSBのトップが突然、あれは「演習」だったと発表しました。袋に入っていたのは爆薬ではなく、ただの「砂糖」だったというのです。

【9月24日に「演習」だったと発表するFSB長官(テレビ朝日より)】

 

 事件後2日も経ってのこの珍妙な説明が、今日まで政府の公式見解となっています。

 真相はいまも伏せられたままですが、この事件の解明を試みたジャーナリストや政治家が次々と暗殺されたり不審な死を遂げています。

 私たちの取材チームも地元の人から「警告」を受け、危険を感じて取材を早く切り上げ、町を離れました。

 

 私たちは連続爆破事件がチェチェン戦争を始め、プーチンが権力を握るために仕組まれた謀略だった可能性がきわめて高いと見ています。

 目的のためには手段を選ばない。無辜の人々が何人死のうがかまわない。諜報機関を操って相手に罪を着せる敵旗作戦を行う。

 プーチンの政治手法は、権力掌握の前から変わっていないように私には思えます。

 

(つづく)

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